Produced by Kaoru Tanaka
Title: 刺靑 (Shisei)Author: 谷崎潤一郞 (Junichiro Tanizaki)Language: Japanese
Text preparation by Kaoru Tanaka
———————————————————————————-Notes on the signs in the text
《…》 shows ruby (short runs of text alongside the base text to indicate pronunciation).Eg. 其《そ》
| marks the start of a string of ruby-attached characters.Eg. 十三|年目《ねんめ》
[#…] explains the formatting of the original text.Eg. [#ここから3字下げ]———————————————————————————-
刺靑 谷崎潤一郞著
刺靑《しせい》
其《そ》れはまだ人々《ひと/″\》が「愚《おろか》」と云ふ貴《たうと》い德《とく》を持《も》つて居《ゐ》て、世《よ》の中《なか》が今《いま》のやうに激しく軋《きし》み合《あ》はない時分《じぶん》であつた。殿樣《とのさま》や若旦那《わかだんな》の長閑《のどか》な顏《かほ》が曇《くも》らぬやうに、御殿女中《ごてんぢよちゆう》や華魁《おいらん》の笑《わらひ》の種《たね》が盡《つ》きぬやうにと、饒舌《ぜうぜつ》を賣《う》るお茶坊主《ちやばうず》だの幇間《はうかん》だのと云《い》ふ職業《しよくげふ》が、立派《りつぱ》に存在《そんざい》して行《ゆ》けた程《ほど》、世間《せけん》がのんびり[#「のんびり」に傍点]して居《ゐ》た時分《じぶん》であつた。女《をんな》定《さだ》九|郞《らう》、女《をんな》自雷也《じらいや》、女《をんな》鳴神《なるかみ》――當時《たうじ》の芝居《しばゐ》でも草雙紙《くさざうし》でも、すべて美《うつく》しい者《もの》は强者《きやうしや》であり、醜《みにく》い者《もの》は弱者《じやくしや》であつた。誰《だれ》も彼《かれ》も擧《こぞ》つて美《うつく》しからむと努《つと》めた揚句《あげく》は、天禀《てんりん》の體《からだ》へ繪《ゑ》の具《ぐ》を注《つ》ぎ込《こ》む迄《まで》になつた。芳烈《はうれつ》な、或《あるひ》は絢爛《けんらん》な、線《せん》と色《いろ》とが其頃《そのころ》の人々《ひと/″\》の肌《はだ》に躍《おど》つた。
馬道《うまみち》を通《かよ》ふお客《きやく》は、見事《みごと》な刺靑《ほりもの》のある駕籠舁《かごかき》を選《えら》んで乘《の》つた。吉原《よしはら》、辰巳《たつみ》の女《をんな》も美《うつく》しい刺靑《ほりもの》の男《をとこ》に惚《ほ》れた。博徒《ばくと》、鳶《とび》の者《もの》はもとより、町人《ちやうにん》から稀《まれ》には侍《さむらひ》なども入墨《いれずみ》をした。時々《とき/″\》兩國《りやうごく》で催《もよほ》される刺靑會《しせいくわい》では參會者《さんくわいしや》おのおの肌《はだ》を叩《たゝ》いて、互《たがひ》に奇拔《きばつ》な意匠《いしやう》を誇《ほこ》り合《あ》ひ、評《ひやう》しあつた。
淸吉《せいきち》と云《い》ふ若《わか》い刺靑師《ほりものし》の腕《うで》ききがあつた。淺草《あさくさ》のちやり[#「ちやり」に傍点]文《ぶん》、松島町《まつしまちやう》の奴平《やつへい》、こん/\[#「こん/\」に傍点]次郞《じらう》などにも劣《おと》らぬ名手《めいしゅ》であると持《も》て囃《はや》されて、何《なん》十|人《にん》の人《ひと》の肌《はだ》は、彼《かれ》の繪筆《ゑふで》の下《もと》に絖地《ぬめぢ》となつて擴《ひろ》げられた。刺靑會《ほりものくわい》で好評《かうひやう》を博《はく》す刺靑《ほりもの》の多《おほ》くは彼《かれ》の手《て》になつたものであつた。逹摩金《だるまきん》はぼかし[#「ぼかし」に傍点]刺《ほり》が得意《とくい》と云《い》はれ、唐草權太《からくさごんた》は朱刺《しゆぼり》の名手《めいしゆ》と讚《たゝ》へられ、淸吉《せいきち》は又《また》奇警《きけい》な構圖《こうづ》と妖艶《えうえん》な筆《ふで》の趣《おもむき》とで名《な》を知《し》られた。
もと豐國國貞《とよくにくにさだ》の風《ふう》を慕《した》つて、浮世繪師《うきよゑし》の渡世《とせい》をして居《ゐ》ただけに、刺靑師《ほりものし》に墮落《だらく》してからの淸吉《せいきち》にもさすが畫工《ゑかき》らしい良心《りやうしん》と、銳感《えいかん》とが殘つて居《い》た。彼《かれ》の心《こゝろ》を惹《ひ》きつける程《ほど》の皮膚《ひふ》と骨組《ほねぐみ》とを持《も》つ人《ひと》でなければ、彼《かれ》の刺靑《ほりもの》を購《あがな》ふ譯《わけ》には行《ゆ》かなかつた。たまたま描《か》いて貰《もら》へるとしても、一|切《さい》の構圖《こうづ》と費用《ひよう》とを彼《かれ》の望《のぞ》むがままにして、其《そ》の上《うへ》堪《た》へ難《がた》い針先《はりさき》の苦痛《くつう》を、一《ひ》と月《つき》も二《ふ》た月《つき》もこらへねばならなかつた。
この若《わか》い刺靑師《ほりものし》の心《こゝろ》には、人知《ひとし》らぬ快樂《くわいらく》と宿願《しゆくぐわん》とが潛《ひそ》むで居《ゐ》た、彼が人々《ひと/″\》の肌《はだ》を針《はり》で突《つ》き刺《さ》す時《とき》、眞紅《まつか》に血《ち》を含《ふく》んで脹《は》れ上《あが》る肉《にく》の疼《うづ》きに堪《た》へかねて、大抵《たいてい》の男《をとこ》は苦《くる》しき呻《うめ》き聲《ごゑ》を發《はつ》したが、其《そ》の呻《うめ》きごゑが激《はげ》しければ激《はげ》しい程《ほど》、彼《かれ》は不思議《ふしぎ》に云《い》ひ難《がた》き愉快《ゆくわい》を感《かん》じるのであつた。刺靑《ほりもの》のうちでも殊《こと》に痛《いた》いと云《い》はれる朱刺《しゆざし》、ぼかしぼり――それを用《もち》ふる事《こと》を彼《かれ》は殊更《ことさら》喜《よろこ》んだ。一|日《にち》平均《へいきん》五六百|本《ぽん》の針《はり》に刺《さ》されて、色上《いろあ》げを良《よ》くする爲《ため》湯《ゆ》へ浴《つか》つて出《で》て來《く》る人《ひと》は、皆《みな》半死半生《はんしはんしやう》の體《てい》で淸吉《せいきち》の足下《あしもと》に打《う》ち倒《たふ》れたまま、暫《しばら》くは身動《みうご》きさへも出來《でき》なかつた。その無殘《むざん》な姿《すがた》をいつも淸吉《せいきち》は冷《ひやゝ》かに眺《なが》めて、
「嘸《さぞ》お痛《いた》みでがせうなあ。」
と云《い》ひながら、快《こゝろよ》ささうに笑《わら》つて居《ゐ》た。
意氣地《いくぢ》のない男《をとこ》などが、まるで知死期《ちしご》の苦《くる》しみのやうに口《くち》を歪《ゆが》め齒《は》を喰《く》ひしばり、ひいひいと悲鳴《ひめい》をあげる事《こと》があると、彼は、
「お前《めへ》さんも江戶兒《えどつこ》だ。辛抱《しんばう》しなさい。――この淸吉《せいきち》の針《はり》は飛《と》び切《き》りに痛《いて》へのだから。」
かう云《い》つて、淚《なみだ》にうるむ男《をとこ》の顏《かほ》を橫眼《よこめ》で見《み》ながら、委細《ゐさい》かまはず刺《ほ》つて行《い》つた。また我慢《がまん》づよい者《もの》がグツと膽《きも》を据《す》ゑて、眉一《まゆひと》つしかめず堪《こら》へて居《ゐ》ると、
「ふむ、お前《めへ》さんは見掛《みか》けによらねえ突强者《つツぱりもの》だ。――だが見《み》なさい、今《いま》にそろそろ疼《うづ》き出《だ》して、どうにもかうにも堪《たま》らないやうにならうから。」
と、白《しろ》い齒《は》を見《み》せて笑《わら》つた。
彼《かれ》が年來《ねんらい》の宿願《しゆくぐわん》は、光輝《くわうき》ある美女《びぢよ》の肌《はだ》を得《え》て、それへ己《おのれ》の魂《たましひ》を刺《ほ》り込《こ》む事《こと》であつた。その女《をんな》の素質《そしつ》と容貌《ようばう》とに就《つ》いては、いろいろの注文《ちうもん》があつた。啻《たゞ》に美《うつく》しい顏《かほ》、美《うつく》しい肌《はだ》とのみでは、彼《かれ》は中々《なか/\》滿足《まんぞく》する事《こと》が出來《でき》なかつた。江戶中《えどぢう》の色町《いろまち》に名《な》を響《ひゞ》かせた女《をんな》と云《い》ふ女《をんな